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奈良県立医科大学医学部医学科同窓会

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無線の話 昔の遊びをまたやってみませんか? 平成4年卒 田中 憲児

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映画の話  炭鉱と映画    昭和47年卒 高橋 徳 

 私は北海道の旭川で生まれましたが、そこは父の大学からの出張先であったため、すぐに札幌に戻ります。父の次の赴任先は空知郡の炭鉱町でした。4才から11才までの約7年間をそこで過ごしました。当時は石炭が黒いダイヤと呼ばれ炭鉱は最盛期を迎えていました。私が通った小学校は北海道で初めて学校給食を実施した学校で、体育館を2つも持つ大きな学校でした。団塊の世代の大量入学で1年生は11組までありました。町には映画館があり、近くにあったイチイの巨木にちなんで「おんこ会館」と呼ばれていました。学校から行った鑑賞会だったのか、家族と行ったのかは定かでないのですが、そこで観た映画「禁断の惑星」(Forbidden Planet, 1956)は強烈に印象に残っています。のちにSF小説やSF映画を好むことになる原点だったのかも知れません。「注イチイの木を北海道や北東北の方言でオンコと呼ぶ」。

 当時の炭鉱では落盤事故やガス爆発事故が起こることがありました。外科部長として赴任した父も事故の際は病院から現場へ急行したようです。家にいた私自身は実際には見ていませんが。顔を真っ黒な煤だらけにした坑内用ヘルメット姿の写真が残っています。事故の時は町の隅々まで聞こえるサイレンが鳴ります。いまでも映画の中でこのサイレンを聴くことができます。その映画の名前は「わが谷は緑なりき」。ジョン・フォードが監督した1941年のアメリカ映画(How Green Was My Valley)です。その年のアカデミー賞の作品賞・監督賞など6部門で受賞した心温まる名作です。19世紀末のイギリス、ウェールズ地方のある炭鉱町で暮らした一家の波乱に満ちた物語で、一家の長女役のモーリン・オハラと牧師を演じたウォルター・ピジョンとの悲恋の物語でもあります。物語の終盤に父ギルムが入坑中に落盤事故を知らせるサイレンが鳴り響きます。兄が事故死したあと父の後を継いで抗夫になった末っ子のヒューが駆け付けますが、ギルムはヒューの腕の中で息を引き取ります。この映画は斜陽となった炭鉱町を去ろうとする年老いたヒューが最後に谷を見て懐かしい日々を回想するという形で始まります。

 石炭産業の斜陽化はそれまで隆盛を誇った町が急速に衰退しさまざまな変化を人々にもたらすという点で映画によく取り上げられます。邦画では「フラガール」(2006)が大ヒットし、ご覧になった方も多いこと思います。蒼井優の母を演じた富司純子が、炭鉱の起死回生の策として建設されたハワイアンセンターのために植えられたヤシの木を寒さから守るために各家庭のストーブを集めて回るシーンがありました。気づいた方もおられるかと思いますが、そのストーブがすべて石油ストーブだったのです。石炭の町の住民が石炭ストーブではなく石油ストーブを使っていたという場面によって炭鉱の斜陽化を象徴的に表していたのでした。ちなみに、この物語は小林一三翁が阪急電車の終点にリゾート地を目指してプールを作ったが、当時は公衆の面前で水着姿を見せることは忌避されたため、不振に陥り、そのプールを埋めた跡を舞台にしてショーを見せたのが宝塚歌劇の始まりとされていることを連想させます。

 ここまで来れば賢明な読者の中には次はあれかと思う映画があります。リトルダンサー(Billy Elliot, 2000年英国)はイギリスのいくつもの映画賞や日本アカデミー外国映画賞などをそうなめにした上に、外国映画でありながら米国アカデミー賞の主要三部門でノミネートされました。この映画で語られるセリフはとてもわかりにくい英語です。これはイギリスの北部地方の訛りで、主人公を演じた少年はオーディションを受けた人の中から「北部訛りで話せてダンスができる」という条件で選ばれました。「フラガール」では、方言指導を福島のかたがされたそうですが、いわきの人々には違和感があったとのこと、映画のなかの方言を完ぺきにするのはとても難しいことです。イギリス英語にもたくさんの訛りがあり、「マイフェアレディ」ではそれがテーマのひとつにもなっていました。「リトルダンサー」に話を戻します。サッチャー政権のもとで合理化がすすめられ、ストライキが頻発していたイギリスの炭鉱町が舞台で、父と兄が炭鉱夫のビリー少年は息子に男らしさを求める父のすすめでボクシング教室に通い始めます。ところが体育館の隅で開かれていたバレエ教室に魅せられてしまいます。父に内緒で練習を重ねるうちに上達しロンドンのバレエ団に内地留学する話が持ち上がりますが、経済的に余裕のないことからビリーは諦めかけます。息子の思いを理解した父は費用を工面するためにスト破りに加担します。はじめは反発した鉱夫仲間たちも事情を知ってビリーを応援します。数年後ロイヤル・バレエ団のプリンシパルとなったビリーは白鳥の湖の出番を待つ舞台の袖でスタッフから「お父さんが来ているよ」と伝えられます。彼を支えてくれた父や友人のために大跳躍を見せます。当時の実際のトップダンサーであったアダムクーパーの跳躍のシーンは息をのむ美しさでした。

 リトルダンサーが創作であるのに対して実話をもとにした「遠い空の向こうに」(OCTOBER SKY)は1999年のアメリカ映画です。1950年代のアメリカ、ウェストヴァージニアの炭鉱町を舞台にしていて、炭鉱の経営不振とストライキ、落盤事故などを背景に夢をかなえた少年たちを描きました。ジェイク・ギレンホールが演じたホーマー・ヒッカムは他の3人の仲間と模型のロケット作りに熱中し、父や校長の反対にもめげず担任教師の後押しもあって、全米学生科学コンテストで優勝します。のちに実際の宇宙技術者となった主人公の自伝が元になっています。応援してくれた担任の女性教師は31歳の若さでホジキン病のため他界しています。話は飛びますが、コミック「宇宙兄弟」に出てくる天文学者の金子シャロンさんはASLでした。さらに父をASLでなくし、宇宙での創薬実験に参加する女性宇宙飛行士せりかの名を冠した「せりか基金」が実際に立ち上げられました。「宇宙兄弟」は2012年に実写映画化もされています。

 話を戻して、ホーマー・ヒッカムの父親は慢性の咳をしていました。当時の炭鉱労働者の多くが石炭の粉塵が肺にたまる炭鉱夫塵肺症に悩まされていたのです。肺線維症に進行してしまうケースもありました。ところが、英国には炭鉱町で結成されたブラスバンドがあり、炭鉱の閉山と同じ月に開催された全英ブラスバンド選手権でそれが最後となるかもしれない鬼気迫る演奏をして優勝します。これを元にして作られたのが映画「ブラス」(Brassed Off, 1966)です。指揮者のダニーを演じたのはピート・ポスルスウェイトです。耳慣れない名前ですが、「ユージュアル・サスペクツ」でKobayashiを、「ローストワールド・ジュラシックパーク」で恐竜ハンターを演じた特異な顔の俳優と言えば思い出す方もあるでしょう。ダニーは閉山の知らせに落胆したあまり呼吸機能が悪化して入院します。病院の前でダニーのために”ダニーボーイ”を演奏したのはユアン・マクレガーが演じたアンディ。物語はそのアンディとダニーの息子フィル、炭鉱会社の調査員であることが発覚する女性グロリアをめぐって展開します。グロリアは閉山が数年も前から既定だったことを知り会社を辞めて退職金をバンドの決勝戦遠征の資金にします。病院を抜け出して決勝の指揮をしたダニーはサッチャー政権の炭鉱政策に対する強烈な批判をスピーチしてトロフィーの受け取りを拒否し、バンドは”威風堂々”を演奏しながら帰路につきます。

 閉山した炭鉱の鉱夫たちの多くは転職を余儀なくされましたが、中にはまだ操業を続けていた炭鉱に移籍することがありました。閉山した筑豊の炭鉱から北海道の炭鉱にわたってきた鉱夫を見事に演じたのは志村けんです。「鉄道員ぽっぽや」は志村けんが俳優として出演した唯一の映画となりました。2作目となるはずだった「キネマの神様」には代役として長年の盟友沢田研二が出演します。「ぽっぽや」(1955)で亡くした娘の成長した姿をみることになる駅長を演じた高倉健には炭鉱にまつわる映画がほかにもあります。「幸せの黄色いハンカチ」1977年。健さんは博多出身の元炭鉱夫という設定で、それまでの任侠映画路線から足を洗うきっかけとなった作品です。博多弁を話す青年欣也役に抜擢されたのが俳優としてこれが映画初出演となった歌手の武田鉄矢でした。この映画は2008年に米国でリメイクされ、欣也青年の役を若き日のエディ・レッドメインが演じました。彼は6年後に「博士と彼女のセオリー」で天才物理学者ホーキンス博士を見事に演じてアカデミー主演男優賞を獲得します。桃井かおりが特別出演しているのも見逃せません。オリジナルの邦画では炭鉱住宅の屋根の上にひるがえるたくさんの黄色いハンカチのシーンが忘れがたい名シーンとなりました。山田洋次監督は「出征兵士の無事な帰郷を願う黄色いリボンとは別の物です」と強調されていますが、最愛の家族の無事帰還を祈る人々の気持ちは国境を越えても変わりはないと思います。

 オリンピックの射撃の選手になった警察官が仕事と合宿生活などの厳しい環境のために妻と別れてしまうという悲しい設定の映画が「駅」(1981)です。黄色いハンカチから4年、渡世人や刑務所帰りを演じていた健さんはとうとう警察官の役を演じることになりました。そして赤いミニスカートの女性ばかりを狙う通り魔の犯人を追い詰めます。根津甚八が演じた犯人は、妹に会うために、炭鉱町の駅に現れます。それが函館本線の砂川駅から分岐したローカル支線の終点、上砂川駅でした。炭鉱最盛期にはたくさんの貨物用の線をもったこの駅からおよそ60年前に私は上砂川町に別れを告げ大阪にやってきました。その後一度も戻ったことはありません。閉山後は、その深い立て坑が無重力実験場として使われていたこともあります。今ではgoogleのストリートビューで歩き回ることさえ可能になりましたけれども、当時の記憶とはまったく違ってしまっているのでした。かつては栄華を誇った炭鉱町とその風景は人々の記憶から次第に薄れてきています。けれども映画の中に残された人々の暮らしや風景は永遠に残り、語り継がれていくことでしょう。

幼少時代のカジュアル写真 in 北海道

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